【本将棋の歴史】(5)『小将棋』
著:あんちっく
『平安将棋』完成→『小将棋』完成→『本将棋』完成
と考えてしまうと、
「『小将棋』考案者は凄いなぁ~」
「『小将棋』のルール見つからないなぁ~」
となると思うのですが、
盤サイズ、初期配置、持ち駒制、酔象削除、
禁手(死駒、二歩、打ち歩詰め、千日手)と
ルールを分解して調査すると、
同一時期にならない事が分かると思います。\(^^;)
そのため、こう考えると分かりやすいです♪(^^)
『平安将棋』未完成→『小将棋』試行錯誤→『本将棋』完成
・『小将棋』に特定の考案者は居ない。
・『小将棋』とは、
『平安将棋』~『本将棋』の過渡期のものであり、
多種多様なルールであったと思われる。
・多種多様なルールを試す事で、
新駒「飛車・角・酔象」導入や
変則ルール「持ち駒制」導入などが生まれ、
将棋は進化し、より良いものになった♪d(^^)
(※「猛豹」なども検討された。)
(※「酔象」は最終的には無くなった。)
・完成を保留する事で、
数百年のテストプレイを行う事が出来たので、
将棋系ゲーム最高峰とも言えるバランス調整が出来た♪(^^)
(※昔の日本では「完成した後は衰えるだけ」という考えがあり、
わざと完成を保留にする事も多かった。)
【『小将棋』進化の歴史】(ざっくりですが…)
■盤サイズ
最終的には9X9盤ですが、
成立時期は分かりませんでした。(^^;)
多数出土していれば、
かなり早い時期から9X9盤であった事が
証明可能かもしれません♪(^^)
(当時の流行が分かる書物があれば良いのですが…)
■初期配置&飛車・角行・酔象追加&酔象削除
日本将棋連盟[日本将棋の歴史]では、
13世紀に
『大将棋』の飛車・角行・酔象を取り入れた
『小将棋』が考案されたとあります。
「諸象戯図式」(1694年)(該当ページ後述)にて
「天文年中(1532~1555年)に
後奈良天皇が日野晴光と伊勢貞孝に命じて、醉象の駒を除かせた」
とあります。
「諸象戯図式」には、
酔象を取り除く前の『小将棋最終形態』と、
酔象を取り除いた後の『本将棋』の初期配置が記載されています♪
『小将棋最終形態』
■持ち駒制
「普通唱導集」(1300年頃)に
将棋指しへの追悼文として
「桂馬を飛ばして銀に替ふ」とあるらしく、
この時点で駒交換の概念があったと思われます。
(Wikipedia[将棋]での情報)
(残念ながら、該当ページ見つからず)
ちなみに、
「諸象戯図式」(該当ページ後述)にも、
「小将棋は新羅百済軍を表すものゆえ、
駒を殺さず生け捕りにして味方に加える…」
という文章があります。(^^;)<誤訳心配だけど。
(新羅百済軍→白村江の戦い?)
■禁手の明文化
二世名人:大橋宗古(1576~1654)が、
江戸幕府への献上図式
「象戯図式」(1636年)(詰将棋作品)(後世俗称:将棋智実)の巻末で、
禁手(死駒、二歩、打ち歩詰め、千日手)をはじめて明文化。
(ちなみに、二歩、打ち歩詰めは持ち駒制ありきの禁手ですね♪)
(一世名人:大橋宗桂の作品にも
打ち歩詰め回避に詰将棋があるらしく、
以前より打ち歩詰めのルールはあったみたいです♪)
↓
【該当箇所】
早稲田大学図書館
象戯図式 / 宗桂 [著] ; 宗古 増補
(上記ページの画像をクリックすると、
HTMLデータのページに飛びます♪
56~57ページに死駒、二歩、打ち歩詰め、千日手が
図入りで解説されています♪(^^))
(注:「馬」は「駒」の略記みたいです♪
分かりづらい…(^^;))
【各書物の該当箇所】
■「諸象戯図式」
全文見つかりませんでしたが、
該当ページのみ見つかりました♪(^^)
なお、著作権が分からなかったので、
画像掲載は見送っています。
リンク先より確認してください♪(^^;)
↓
(1)国立国会図書館デジタルコレクションの
口絵(「諸象戯図式」含む)(PDFデータ) 4ページ目
(2)国立公文書館
「諸象戯図式」
(↑現地へ行き申請すれば全文確認可能かと)
【おまけリンク】
野田市立図書館 将棋関係貴重書目録